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福島でこそ生きる経験、得られるキャリア

原発事故の影響で全町避難が続く福島県浪江町。約2万人の町民の避難先は全国に及び、町役場は内陸の二本松市に事務所を移して、2017年の帰還を目指して業務を行っています。
その中で外部人材として浪江町役場に勤務するお二人に、現在の業務とキャリアについてお話をお聞きしました。
*浪江町の復興の現状は、こちらで確認できます。

現在、どんなお仕事をされていますか。

中川:復興推進課情報統計係で広報を担当して1年9か月になります。月に2回発行している広報紙の制作や、ホームページ、SNS、メルマガなどを通した町の情報発信を支援しています。以前はこれらの業務を実質正職員1人で担当しており、広報紙の発行サイクルを回すだけで手一杯、一方で町民は情報が足りないと不満を感じている、という状況でした。私の着任後、広報紙については企画記事を増やす、部署を横断した情報を編集して出す、ホームページやフェイスブックページについてもナビゲーション改善やコンテンツの拡充を行ってきました。メディアリレーションの強化や全職員の広報スキルアップ・広報マインドの醸成にも取り組んできていますが、まだ道半ばというところです。

吉永:全国に散らばって避難する浪江町民のきずな維持のために全町民にタブレット端末を配布するプロジェクトのマネージャーを務めています。2014年7月の着任後、浪江のニュースの閲覧や写真の投稿ができるオリジナルアプリの開発に携わり、今年の1月からそのアプリを搭載したタブレットの配布を開始しました。まずは広く多くの町民に使ってもらえるアプリを開発しましたが、それができた今、帰還に向けての情報提供や、孤独死・孤立をいかに防ぐかなど、新しい段階に入ったと感じています。

これまでのご経験と、浪江町に赴任するきっかけを教えてください。

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中川:企業や大学で広報業務に長く携わってきました。ずっと東京で暮らすうちに、経済合理性に重きを置く東京の価値観以外の中に身を置いてみたいと思い、復興の現場で働くことを選択肢として考えました。新聞で見つけたETIC.の右腕派遣プログラム(※)の説明会に参加し、広報コーディネータを募集していた浪江町で働くことになりました。

吉永:IT業界でプロジェクトマネージャーをやっていました。企業の中では文系出身のエンジニアのキャリアの選択肢が少ないと感じる一方で、専門家が地方に入ることで解決できる課題があるのではないかと思い、それを実践してみようと考えました。

浪江町の状況をどう感じていらっしゃいますか。

中川:浪江町は、全町避難が続いている、さらに町民が全国に分散しているという特殊な状況にあり、情報発信の重要性を感じています。今、2017年3月の帰還を現実的な目標として見据える時期になってきました。町内の復旧・復興まちづくりに向けた取り組みはずっと前から始まっていますが、はっきり目に見える形になってきたのはこの1年くらいのことです。町に帰れる人も帰れない人も、町がよみがえっていく姿は力になるはずですから、それを正確に伝えていきたいです。

働く環境としてはいかがでしょうか。

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吉永:浪江町は人の募集が上手いと思います。求める業務内容が明確なので、入った人材は経験を活かすことができます。また、町として、今は緊急事態なのでこれまでのやり方にとらわれず民間のいいところは取り入れようという意思を持っていると感じます。役場の中にも、職員が部署を越えて町の復興計画についてのワークショップを行うなど風通しの良さがありますし、町民も交えて町の今後を考える「町民協働」も根付いていると感じます。

自身のキャリアについて、どのように考えていらっしゃいますか?

中川:今年の3月に東京へ戻るつもりでしたが、まだやり残したことがあると感じ、残ることにしました。ただ、広報のようなルーチン業務は本来、応援職員がいなければ回らないという状況は好ましくありませんので、自分がいなくなっても業務が引き継がれるようにと意識しています。役場には広報のプロを目指すつもりで入職した方はいません。でも、たとえば文章スキルはどこでも役に立ちますし、新しい発想での仕事の仕方といった気づきを得ることは意味があると思うので、そういう機会をなるべく提供できるようにと考えています。自分がいつ東京に戻るかはまだ決めていません。契約更新のタイミングで、都度考えたいと思います。

吉永:僕も今年の夏にいったん契約期間が満了し、東京に帰ることも考えました。が、やり残したことがあると感じて年度末まで残ることに決めました。
やり残したことの一つは、もっと町民に喜んでもらえるアプリが作りたいということ。タブレットを初めて使う方だからいいと思ってくれるのではなく、誰がみてもすごいアプリ、浪江だけでなく他の町でも役に立つことができるものを作りたい。もう一つは、アプリ開発以外でも地域の課題解決に貢献したいということ。できたのか、仕事以外の活動も含めて、自分が福島に来た意味をもう少し突き詰めたいです。
私自身は、ITエンジニアが日本の地域を行き来する働き方を広めたいと思っています。東京に戻ったあと、そうした働き方を広める活動をするのか、企業に戻るのかまだ決めていません。一方で、こちらへ来て自分に足りないものも見えたので、自身のITスキルを高めたい気持ちもあります。

中川:日本の働き方の仕組みはまだ硬直的なところがあって、一度外れると戻れないと思われています。一度離れたメインストリームに戻ることを実践するのには意味があると思いますよ。

浪江町での経験には、キャリアとしてどのような意味がありそうでしょうか。

中川:私自身は人生ベストの決断をしたと思っています。私と同世代、50代くらいで、今は東京で働いているけど比較的身軽に動くことができるという方が、専門スキル、経験を持って地方でできることがあると思います。東京では似たようなスキルの人はたくさんいて、自分でなくてもいい。でも地方に来ると重宝されます。やりたい気持ちがあるけど迷っている方がいるなら「あなたを引きとどめているのは何なのか考えてみて」と伝えたいです。

吉永:逆に自分のような30代くらいの人にとっては、東京で働くモチベーションが上がるきっかけになると思います。東京には同じような人がたくさんいて、会社では駒のように感じてしまう。こちらでは仕事を任されるし、目の前に困っている町民がたくさんいる中で、何かを解決したい、どうすれば自分が価値を発揮できるのかと、真剣に考えます。以前は「働く意味とは」などと悩んでいましたが、ここでは、やらなきゃいけない状況。「とにかくやる」ということを学びましたし、そういう意味でキャリアアップになったと考えています。

※ETIC.の「右腕派遣プログラム」では、東北で復興に取り組む組織に「右腕」として人材を派遣している。

(2015年9月30日取材)

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